野球部物語 18

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ツバキノミ
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キノコ

 練習が遅くなる日、監督の自宅に泊まることで楽になった。下宿代をと尋ねたが要らないの一点張りで、しつこく尋ねると怒られた。米や野菜は黙って受け取られた。
 二カ月、師弟の共同生活は終わった。泊まった時は、朝食、弁当、夕食は監督が賄ってくれた。私は、掃除が担当であった。
 同級生誰もが、監督の家から学校に来ていると、きずく者はいなかった。私は早く出るし、監督はゆっくり出勤していた。贔屓にみられることを避けたかったのだ。
 管理されることと、自主性は相反するが、当時は、高校生まで位は管理される練習が一般的で、監督に自由にもの言える環境ではなかった。
 自主性を重んじた我が中学野球部は、和気あいあいで、いじめなどなかったが、大会では一回戦で消えることが当たり前になった。
 早く終わると、監督と一緒に映画鑑賞するのが楽しみになった。監督は、教育の一環として映画観賞を考えたのであろう。素晴らしい教育者であった。      つづく