簡単冷や汁

 毎日蒸し暑く、猛暑である。頑張っているが体がだるい。そう言えば食欲ががない。食欲がなければ元気が出るわけがない。
食欲がない時、冷や汁が一番である。冷や汁は宮崎の田舎料理である。ホテルでの朝食、夏は決まって冷や汁が出る。

 朝から食べる冷や汁の旨い事、前夜の御馳走のあとの冷や汁は絶品である。何杯も御代わりできる。食欲のない夏場は冷や汁に限る。
先月は、会員の病気やけがでお休みになった。転んでけがされた先生はようやく復帰されて元気な姿を見せられた。

 私は大好きな冷や汁を手を挙げて担当にしてもらった。どうせ料理するなら、真っ先に冷や汁の料理を選んだのだ。
アジの開きを焼きほぐし、キュウリ、大葉、茗荷、木綿豆腐、生姜を刻み、後は水と味噌を混ぜたら出来上がり。ホテルのような味は出ないが、食欲のない時はスルスルお腹に納まる。









 

芥川賞.直木賞該当作なし

 第173回芥川賞.直木賞は該当作なしと発表された。両賞の該当作なしは27年ぶり。よほどのない限り該当作なしになることはない。
選考委員の話によると、「帯に短したすきに長し」と、候補作が、心に響く感動が湧かないと辛口の選評をしている。

 それでも、「候補作に選ばれた作品は一定の読者に評価されている」と擁護している。是では本離れに一層拍車がかかると、選者の心配したコメントである
先月、老舗本屋さんが閉店している。大がかりな開店セールの賑わいを知っているだけに、世の中の移り変わりに寂しさを感じる。

 仕事を辞めたら、好きな本に囲まれ、心行くまで楽しみたいと思っていた。退職はしたが、思い通りに行くことはなかったが、本は私の生きがいであった。
芥川賞文芸春秋に載つている。芥川賞の単行本は買わなくとも済む、得した気分になっていた。頭の栄養は文化である。





民主主義

「戦争遺産」展について、感動したので再度述べる。何回書いたとしても戦争を語りつくせるものでない。
日本が敗戦が色濃くなった時、アメリカ軍が、日本国民に対して降伏を促すビラを飛行機から捲いた内容に、目が吸い寄せられた。

 アメリカ軍は、市街地を無差別に絨毯爆撃したとばかり思っていた。ところがビラには、「軍関係の基地に爆弾を落とします、あんたがた市民には早めに避難してください」。
アメリカ軍は市民に被害が及ばないようにします。市民に配慮する素晴らしい民主主義の国です」。「アメリカの敵は日本の支配層と軍部です」とたどたどしい日本語がしたためてあった。

 堂々と国民が主役の考えが、当時あったアメリカ国に、日本が勝てるわけがない。ビラにアメリカは素晴らしい民主主義の国だと書けるアメリカは素晴らしい。
民主主義の盟主であるアメリカがトランプ大統領になって怪しくなった。他国の意見に耳を貸さないばかりか、自国第一主義になっている。是では対立が激しくなるばかりである。

オールスターフアン投票


 
  大リーグのオールスターゲーム、日本人選手が3人出場する。その中で実力、人気、ナンバーワンの大谷選手が選ばれるのは当然である。
スポーツ選手は実力で評価される。スポーツは情実の入る隙間はない。単純明快な世界である。スポーツの人気はそんな側面があるからである。

 政治の世界は、複雑怪奇である。経歴や実績は大切だが、親の七光り、地盤、それに学歴、所属政党、演説の良し悪しが付きまとう。判断に迷う。
選挙は野球のファン投票のようなもんだが、スポーツのように実力がスッキリしない。アホな政治家でも、政治家になってしまう。

 政治家は能力があっても、当選するとは限らない不公平な世界なのである。人気だけあっても、実力があっても代議士先生にはなれないのである。
スポーツや、大相撲は実力あれば、出世する、地位は上がる、人気は出る、誰もが納得する世界である。

戦争遺産

 戦後80年、たまな、くまもとの戦争遺産展を観に行った。昨日も感想を述べたが、戦争の重いテーマに語りつくせていない。
再度戦争について述べたいと思う。会場に入るなり、戦時中の資料が目に入る。戦争中なのに写真の人々の表情はスッキリしている。

 私は,,人々は暗い表情をしていると先入観があったが、以外であった。アメリカに負けるものかと必死で、心の迷いわなかったのだろう。
玉名、菊池は特攻隊の基地や飛行場があったところである。飛行場は軍の機関で、アメリカ軍に狙われやすい。

狭い日本、飛行場の周りは住宅地である。飛行場を狙った爆弾が住宅地に落ちて、民間人の犠牲が多数出たと言う。
オスプレイの配備反対する佐賀県民の気持ちははわかるような気がする。平和な日本に戦争のための基地がいらない日が来ることを願う。

戦後80年

 熊本県内の戦争遺跡や戦時中の資料などを集めた、「戦争遺産」展を、玉名市立歴史博物館に観に行った。
戦後生まれの私は、戦争時代のことは何も知らない。親父は戦時中のことは一言もしゃべらない。戦争時代のことは話したくない、辛い経験があったに違いない。

 戦争は人間の魂を汚し、悲惨な残虐な様子はテレビなどで報道されて、戦争は悪であることは何度も何度も吹き込まれ、忌み嫌っていた。
戦争は悪だと解っていても、ただ悪だと言っていても、真相はわからない。戦争について忌避してばかりでは、薄っぺらな知識では戦争は語れない。

 戦争の遺跡や資料、戦時を振り返る、「戦争遺産」展をどうしても我が目で確かめたくなった。地方で催す、「戦争遺産」展には期待していなかったが、興味ある内容はどれも素晴らしいものであった。
これでもか、これでもかと、豊富な資料が戦争の現実を見せてくる。戦争遺産展のテーマは、二度と戦争をおこさないよう、警告しているように思えた。観る価値あり!!

幸運

 首長や国会議員は言葉遣い一つで、政治生命を奪われることがある。リーダーや、人の上に立つ者は言葉遣いは慎重でなければならない。
自民党の幹部が選挙応援演説で、能登地震が起きたのは、「運が良かった」と言ったのである。能登地震をを揶揄して、政策の実現を自慢したのである。

 トランプ大統領は、「広島と長崎に原爆投下したので、戦争が早く終結した」と、、イスラエルとイランの戦争を引き合いに出している。世界のリーダーの発言とは思えない。
原爆投下で何十万の犠牲者を生みが今も苦しんでいる。原爆投下は戦争を早く終結させたとは言ってはいけない言葉である。

 地震や、原爆投下した結果、「運が良かった、幸運であった」と、日米のリーダーが発言している。
日本の国会議員は、「配慮が足りなかった、発言を撤回する」と石川県能登市民に平謝りしている。トランプ大統領聞く耳を持たない独裁者のようである。