ワクチン接種

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 昨日ワクチン接種を受けた。朝から、ワクチン注射を受けるのが憂鬱であった。出来るならワクチン接種は受けたくないが、同調圧力を跳ね返す度胸はない。
 私は注射が嫌いである。誰も注射が好きな人はいないだろうが、私は特別嫌なのである。皮下注射だろうが、筋肉注射だろうが、注射と聞いたら緊張する。
 ワクチン注射の模様がテレビで流され、チクりはしたが何ともないとすまし顔である。それに比べ私は、大の大人が泣きわめく訳にもいかないが、逃げ出したい気持ちである。
 接種後、気分が悪くなることも予想して、接種会場まで歩いて行くことにした。アスファルトの舗道は照り返しで蒸せ帰るような暑さであった。
 予約時間の30分前に会場についたが、すぐに受付てくれ、スムーズに接種が終わった。痛さを覚悟していたが、チクリの痛さも感じずに拍子抜けであった。
 「3週間後に2回目の接種を受けにきて下い」と、看護婦さんが微笑まれた。痛くない注射に看護婦さんが天使に見えた。f:id:sin0501:20210624135722j:plain

 

知の巨人

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ネムノ木

 梅雨の中休み、いい天気が続いている。注射は嫌いだが、コロナワクチン接種は待ちに待っていた。副反応は気にならない訳ではないが、緊張している。
 一世を風靡した、才能ある有名人が次ぎ次ぎ天国に召されている。寺内たけし、小林亜星、知の巨人立花隆さんが亡くなっていたと報じられた。
 立花さんは、文藝春秋の巻頭エッセイをながらく執筆されていた。私は立花さんの緻密な取材に裏打ちされた明解な分析に、何時も感心し、喝采を挙げていた。
 田中角栄研究は、今太閤ともてはやされ、飛ぶ鳥を射落とす勢いの田中角栄総理大臣を退陣に追い込んだ。筆の力を思う存分発揮できた事例である。
 テレビでは、ニコニコした話ぶりで、偉そうなそぶり、口ぶりは微塵もなく好々爺であった。ガンを患って、自分の身に起きたことをお惜しみなく伝え続けた。
 最近は、臨死体験脳死、人間とは何かを問い続けてられていた。最後まで知の巨人の姿勢を貫かれた。 

野球部物語 14

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ネムノ木

 キャプテンとして初めて夏合宿に臨んだことは、60年前の様子が生々しく目の前に現れる。触れたくないが、素通りする訳にはいかない。
 合宿の生活は、前項に描いた通りだが、その中の一番の行事は肝試しである。学校の裏山、皿木ガ丘は校歌に謳われている小高い山である。
 皿木ガ丘の頂上に鎮魂の碑がある。真夜中、碑に1人で帽子を置いて、次の者が取りに行く、インチキが出来ないようになっている。
 キャプテンが最初に帽子を置いてくるのが恒例になっている。街灯もなく暗闇の山道を登って行くには相当の度胸がいる。
 昨年までは先輩が登った後で、ずいぶん気が楽であった、今年はそうはいかない。私が先陣を切らなければならない。皆の見本を示さなければならない。
 小便を漏らすほど、誰もが尻込みするほどの怖さである。元来臆病な私は、その場を逃げ出したいくらいだ。キャプテンの威厳を示すためには、震えをおくびにも出せない。キャプテンになり手がないのも解る気がした。     つづく

野球部物語 13

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  夏合宿が終わると、2学期から自主練習とは名ばかりで、サボる部員が多くなった。それでも2年生は今度は我々の番だと張り切ってグランドに立っていた。
 工夫しながら、順調に行っていた野球部に激震が入った。足も速く、運動センス抜群、走攻守揃ったW.S君が、熊本市内に引っ越すと退部を申し出て来た。
 彼は私の一番の理解者であり、仲間である。「それはないだろう、引っ越しを延ばす訳にはいかないのか」と、本気に思ったりした。
 家庭の事情では、なすすべはなく、どうしようもない。野球部としては本当に痛い。田舎で家族が引っ越すことはほとんどない。めったにない事が起こったのだ。
 一度あることは二度ある。今度は、W.K、K.I君が退部を申しでた。W.K君の親が直接、監督と私に説明に来た。
 「野球に熱中し、猛練習で疲れ、成績不振、このままでは希望校に進学できない」と、真剣な眼差しで訴えてこられた。のほほーんと過ごしていた私には驚きであった。将来のことが身近に感じられた。    つづく

野球部物語 12

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 私の野球部の活動は残り1年になった。来年の夏合宿までが、最後の部活動になる。当時は感傷的な思いはこれっぽちもなく、キャプテンとしてまとめていくことしか頭になかった。
 キャプテンやエースとしての自覚が芽生え、張り切っていた事i以外、夏合宿、その他の事は記憶からすっぽり抜けている。自主性を重んじるチームのキャプテンは責任が重いのである。
 猛暑の中の夏合宿、自主性に任せて監督は、校務を優先して練習に顔を出すことが少なくなった。それでも、市内の強豪校に進学した先輩が指導に来てくれて刺激になった。
 野球漬けの毎日が続き、練習は順調に進んで行った。ところが青天の霹靂、先輩が生徒会長に立候補を勧めた。クラスでも話はまとまっていた。
 野球部物語に生徒会は、無縁なようだが、夏合宿でも部員に話が持ち上がっていたらしい。それは先輩が根回ししていたのである。二足のわらじは無理であることは判り切っているが。若さがあった。
 野球部に所属していたらこそ、立候補する羽目になり、そして当選できたのである。練習にも、生徒会活動にも熱が入り、帰宅は暗くなることもしばしばであった。   つづく 

野球部物語  11

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 昨日食べた夕食のメニューは思い出せないのに、60年以上前のことがに生き生きと思い出される。高齢者現象と言われているが、その先には進まないことを願っている。
 夏合宿の前、ポジション決めが待っている。自主性を重んじる監督は、いつも練習している部員に任せてくれた。収まるところに収まるもので、自然と適材適所に落ち着く。
 一つだけピッチャーを決める時、監督が口を出して来た。ピッチャーを希望する者だけは、テストがあった。スピードが命である。
 今まで守っていたキャッチャーは労多く、目立たないポジションで、ピッチャーのテストを受けることにした。希望者が4~5人いたろうか。監督の前で投げる球のスピード競争である。
 私はコントロールは悪かったが、肩の強さには自信があった。スピードガンがなかった時代であるが、監督の目に留まったのだ。
 私はキャプテンに選ばれ、ピッチャーに指名された。熊本工業に進学して、プロ野球選手に本気でなりたいと思った瞬間でもある。   つづく
 

野球部物語 10

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 大会が終わって、審判団の訪問を受けた。大会の善戦で田舎チームの指導に訪れたのだ。野球の基本を丁寧に指導してくれた。
 我々の実力が認められたと喜び合い、今度は矢部郷大会優勝だと練習に熱が入った。自主練種は楽しいものであった。
 運動会の部活紹介で、鼻高々で優勝旗を掲げて行進したいと欲望は膨らむばかりで、有頂天になっていた。
 張り切って大会に臨んだが、思うような結果は得られなかった。野球はチームプレイが要求される。監督の掛り合いががないと、個人プレイに陥ってしまう。
 有望な一年生が入部したにもかかわらず、指導する上級生は面倒見ることなく、自分の事で精一杯である。これではチーム力は上がらない。
 野球シーズンは終わり、3年生は練習に姿を召せなくなり、我々2年生がチームを引っ張る番になった。私は、キャプテンに選ばれ、ピッチャーのポジションを任された。 つづく