熊日夕刊廃止

f:id:sin0501:20210811145547j:plain

f:id:sin0501:20210811145640j:plain

熊本日日新聞社は9月30日を以て夕刊を廃止すると発表した。新聞大好きの私には痛い出来事である。紙人間で育った私にはハイそうですかとはいかないのである。
 熊日の夕刊は読み物がないと周りから聞こえていたが、私は活字から囲まれていたいので、読むか読まないかで、割り切れないものがある。
 熊日の夕刊は70年の歴史があるそうだが、50年近くは愛読している。最近の好きなコーナーは、土曜日の夕刊、五木寛之のエッセイ欄である。
 1200字位の小文だが、誠に読みやすい。読みやすくなければ文章でない思い込んでいる私には、この小文は大いに参考になる。
 夕刊の配達のバイクが来ると、時間が解る。正確無比に午後3時と解る。風が吹こうが、大雨だろうが、雪が降ろうが、コロナ禍だろうが、新聞受けに入っている。
 決まった時間に夕刊を配ることは、並大抵の責任感がないとできない。販売店の努力には頭が下がる。新聞は読むだけでない。社会の縮図が新聞社にはある。