晩酌

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  私が親父と呼ばれる年齢になった。親父とは、永遠に私の父の事だと思っていた。父は男が晩酌出来る様になったら一人前大人に、「親父」なった印だとかねがね言っていたことを想い出す。
 私は、30代後半で毎日晩酌をするようになった。親父は確か、50代過ぎてようやく、「晩酌」できるようになったとしみじみ述べていたことを聞いたことがある。
 晩酌は一人前の男性になった証である。たかが晩酌だが、それだけ大切に思っていた行為、権威に違いない。豊かになった現在、夕食に一杯、晩酌は誰でも出来る当たり前の食事風景である。
 父によれば、30代後半で晩酌出来るようになった私は、「親父」の資格得たことになるが。私には、「親父」の自覚は到底あったとは思えない。
 あれほど好きだった酒が、最近呑みたくなくなった。酒が美味しく飲めるのが健康のバローだと思っていたが、高齢になると常に健康を保つのは難しい。晩酌するのが「一人前の男になった証」を返上する年齢になった。老兵は消え去るのみか?