野球日本代表監督に井端弘和氏が就任した。ドラフトでは上位に指名されず、熊本工業の荒木雅弘選手がドラフト1位で中日ドラゴンズに指名された。
荒木選手は私の知人の息子で、フアンクラブに入会して中日の試合は欠かさず観ていた。荒木、井端選手は入団当時はなかなか出場機会に恵まれず、腐らず地道な練習に明け暮れていた。
荒木選手はひたむきな練習に明け暮れ、2000本安打を達成し、名球会に選ばれた。派手な活躍には無縁だったが、野球選手としての最高の栄誉を克ちえた。
井端選手は遊撃手、荒木選手は2塁手、猛練習に耐え、球界の鉄壁の二遊間として名を轟かした。ゴールデングラブ賞を何度も受賞し、二人は守りの職人と呼ばれていた。
井端選手は、現役時代の後半から、度のきつい眼鏡をかけだし、どうしたのかと心配していた。ウイルスの目の疾患などで視力が低下、野球選手には致命的な病気である。
目の病気を、猛練習で克服して、ハンディを乗り越えた。口では簡単に言うけど、凄まじい努力の結果である。あきらめない、くさらない、探求心、何事か成し遂げるには、とどまるところ、「人」である。