山都の風景

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  私が育った山都町の実家は、8軒の小さな集落であった。小学生の時、左隣のHさんが熊本市に引っ越され7軒になった。仲良しだった一学年上のH.N君との別れは寂しかった。
 私が実家を離れた20年間小さなコミュニティは健在であった。が向かいのMさんが農作業中の事故、後を追うように奥さんが亡くなられ6軒に減った。
 かろうじて、コミュニティは維持されてきたが、5年前の熊本地震が過疎に拍車をかけた。前のNさんが、右隣のHさんが相次いで引っ越されて更地になった。4軒が残った。
 江戸時代の大庄屋、Hさんは最後の砦、集落の守り神と頼りにされていたが、子孫は便利な都会に引っ越された。とうとう3軒になった。
 私が実家を離れて54年、コミュニティは消滅のの危機を迎えている。実家の風景は大きく変わろうとしている。時代の流れは如何ともしがたいが、こんな風景は予想もしなかった。
 一方私が住んでいるK町は、大きく発展し、人口も増え続けている。街が発展することと幸せとは限らない。賑やかな都会に暮らしても、閉じ籠り、孤独、その果てに奇怪な事件が多発している。