シングルマザーは何かにつけて生きづらいと言う。今までは世間一般の出来事で私には関係ないと冷めた目で眺めていた。
生きづらさとは、例えば、復興住宅で誰にも見守られず、我が子にも見捨てられ孤独死したことのなれの果てだと思っていた。
ところが連れ合いを亡くし、友達もいないし、当然だが愛する人を失った者には、生きづらさ概念を大きく変わったことに気づいた。
生きづらさとは、差別やマイノリティ、狭い範囲でとらえがちだが、身近にその原因があるとは思いもしなかった。
では生きづらさとは、社会学者でもない私が述べるのはおこがましいが、自分自身に問いかける問題でもある。私の生きる根本でもある。
「ただいま」、「おかえり」 「オーイ」、「ナーニ」等々、日常の生活が営みが奪われた時、生きづらさが痛烈に身に沁みる。
生きづらさは、会社、学校、地域社会、何時、誰でも起きうる問題である。連れ合いを亡くした者には、「し生きづらさ」とは、愛を失くした魂の叫びである