茶飲み友達

「茶飲み友達」、自分には関係ない、遠い先のこと、それに、おじん、おばんくさいと小馬鹿にしていた。
よくよく考えると、連れ合いを亡くした私が茶飲み友達を必要としている渦中にあることに気づいた。

小馬鹿にしていた茶飲み友達、我が身に捉える状況になったのだ。縁側でたわいもない話に嵩じる年齢、立場になったのである。
これから訪れるであろう、高齢者生活は、今までのキャリアや社会的地位で乗りきれるほど甘くない。心の鎧をを脱がなくては周りは受け入れてくれない。

人間は一人では生きていけない。周りの手助けが、支えがあって生かされている。なんでも話せる茶飲み友達が心の潤いを、生きがいを共有する。
もう肩ひじ張って生きることはない。難しい議論は必要ない。長い人生を送って来た者同士、未来を一緒に語っていけたら人生も楽しくなる。「茶飲み友達」、考えさせる映画であった。