成人の日

 

今日は昨年4月に民法改正され、成人年齢が18歳に引き下げられて初めての成人の日である。我々の年代は1月15日が愛着がある。いつの間にか第三月曜日になった。
今更文句を言ってもせん無いことだが、祝日は固定した方が良い。18歳が成人式だと言っても、受験生には成人式どころでない。

私は、受験より大人への門出の儀式が大事だと思うが、現実はそうはいかない。成人式を改め、各自治体は苦肉の策として、「20歳の集い」として実施している。
今度の民法改正で、成人年齢が18歳に引き下げられたが、飲酒、タバコは20歳からで、今まで通りである。ややこしい立て付けで18歳に統一した方がすっきりする。

昔、昔はと言うのは憚れるが、江戸時代は15歳で元服して、一人前の大人として認められて酒も、タバコも許されていた。
体格も、知識もある現代人が、どうして20歳まで大人扱いおされないのか、私には納得できない。折角18歳に引き下げられたのである。18歳は大人である。

美味しい阿蘇野菜

阿蘇カルデラ内は平地より相当冷え込む。寒暖の差が大きいため野菜が甘くて美味しい。
阿蘇にドライブに行ったり、登山の帰りに阿蘇の獲れたて野菜を購入している。昨日温泉帰りに白菜を求めて来た。

料理教室歴16年の私だが、白菜漬けはまだ一度も挑戦したことはない。家庭料理が得意の山友に教わりながら、自家製白菜漬けを作ることにした。
一回目は昨年師走に、山友の主導、指導の下やってみた。初めての挑戦、たかが白菜漬け、されど白菜漬け、目を瞠ることばかりであった。

白菜の捌き方、そして漬ける前に天日干し、天日干しは野菜の栄養価が増すらしいと聞いていたが、理にかなった漬け方である。
塩加減は山友の勘である。こればかりは長年の経験の積み重ねであり、私が真似できない分野である。一回目の白菜漬けはそれはそれは、素晴らしい味になつた。自家製は美味しい。

熊本の今

新年は穏やかな天気が続き、良い正月だった。今日は午後より天気が崩れ雨になる予報が出ている。久しぶりのお湿り、大地も望んでいるだろう。
帰省客はUターンして熊本は普段の生活に戻つている。都会の喧騒のなか、ゆったりした、田舎の暮らしを満喫して活力を得たに違いない。

我が町は台湾のIT企業の進出で、活気があり、車の渋滞で生活に支障が出ているが、それでも賑わいがあることは良い事だ。
Uターンラッシュがコロナ感染の置き土産にしていったようだ。正月は感染者数が落ち着いたかに思えたが、正月3ヶ日過ぎ、医療機関が再開するとと、一気に増えだした。

昨日は過去最多、6615人の感染者数を記録した。凄い感染者数である。症状は軽いとは言え、高齢者の感染は重症化する。
熊本は全国で一番活気のある県である、その中心が菊陽町である。テレビで報じていたが、コロナ感染数の増加が日本一では自慢にならない。

うさぎ年

 

今年の箱根駅伝花の一区、最初から一人飛び出し大差をつけて独走であった。まさに脱兎のごとく、うさぎ年にふさわしい走りぷりであった。
最初から2位以下に400m以上離し興味が薄れたが、その選手が無名大学の学生連合の選手だったので、驚きであると同時に、応援に熱が入った。「ガンバレガンバレ!!」

今日の新聞に、スタートと同時に飛び出した選手が熊本出身だと紹介記事を見つけ、流石熊本出身者だと胸のすく思いになった。
最終的には、足をふらつかせながらも、トップでたすきを渡せなかったものの、3位の堂々の成績で、責任を果たした。

「アッパレ、お見事、素晴らしい、よくやった」、と言う以外の褒め言葉はみつからない。
うさぎ年に、若者に夢を持たせてくれる快挙である。ここ一発、誰も考えつかないことを勇気を持つて挑戦する。無名でも努力すれば成し遂げられる。




新春を駆ける

母校が箱根駅伝に出なくなって久しい。熊本出身の岡田監督が辞めてから、一度も出場していない。
鳴り物入りで亜大の監督になった元オリンピック選手佐藤さんの手腕に期待したが
期待外れであった。

素晴らしい選手時代の実績が、すばらしい指導者になるとは限らない。選手に寄り添って指導している他大学監督の話を聞くにつれ歯がゆい思いをしている。
元日は、実業団駅伝が栃木で行われた。冷たい空っ風が吹く上州路を企業のメンツを懸け駆け抜けた。

私は駅伝フアンで、歳の暮れの、男女の高校駅伝、新春をかける実業団駅伝、それに箱根駅伝、テレビの前から離れられないでいる。
正月過ぎたら、都道府県駅伝が待つている。ワクワクしながら、熊本の活躍お見守っている。楽しみは多い。コタツから離れられない。

 

初詣

明けましておめでとうございます。寅年からウサギ年にに変わった。景気もウサギのようにピョンピョン跳ねて駆け上がって欲しい。
無宗教の私が、神頼みとは厚かましいが、今年の無事、安全を願って阿蘇神社に初詣に出掛けた。

私は、神様にも仏様にも、キリスト教にも造詣深い。無宗教だが信仰心は誰にも負けない。人生には無宗教が便利がよく色々楽しめる。勝手なものだ。
大津を抜け、立野お抜けたあたりから急に車が混みだした。車の渋滞の原因が阿蘇神社の初詣であると気づいたのは、赤水を通り過ぎたあたりからだ。阿蘇で車が渋滞する原因は阿蘇神社への初詣以外に考えられない。

車の渋滞は熊本では経験できないが、イライラするのが苦痛にかわるのに、そう時間はかからなかった。
阿蘇神社の初詣はさっさと諦め、抜け道を通つて手野の国造神社にハンドルを切った。偉い神様より、寂れた神社を守つている神様がご利益があると思うことにした。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。健康に注意して頑張りますので今年も宜しくお願いします。
紅白歌合戦お最後まで観ていたので、寝不足気味である。今年の目標が健康に注意すると挙げていたのに、いい加減なものである。

紅白を最後まで観たが、つまらなくて、他にチャンネルを替えようと思ったが、他局も似たりよったり、我慢しながら観てしまった。
「一年の計は元旦にあり」。今年は何を目標に暮らそうか、高齢者になると、目標なるものどうでもいいのです。

普通の、普段の生活にささやかな幸せを感じればいいのです。今日を無事に暮らし、また明日も楽しく暮らし、過ぎさることが、無上の喜びなのである。
名誉も地位も欲しいとは思わなくなつた。今まで頑張り、精一杯努力してきた。平穏な日常の中で新年の夜明けを迎えられたことに感謝している。