パラリンピック

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 9月5日、パラリンピックが閉幕した。オリ、パラが終わって、テレビ画面は静かになった。毎日熱戦が繰り広げられ、実況中継の雄たけびが聞かれなくなり寂しい気がするが、普段の生活に戻ると思うとホッとする。
 スポーツは、年齢、性別、主義主張の別なく熱狂、団結させる。負ければ落胆、勝てば称賛の嵐である。
 パラリンピック選手は、身体のどこかにハンディを抱えて出場している。試合に臨むあたり並大抵の努力は、画面を通じて伝わってくる。
 大会を通じて、パラリンピック選手のおもいやり、優しさが、胸に響いてきた。勝者は敗者をいたわり、敗者は勝者を心より称えていた。
 同じハンディを抱えたもの同士、其の苦労、努力が解り合えるのであろう。スポーツが感動を呼ぶのは、勝敗がはっきり決着がつくことである。そこには努力しか入り込めない。
 オリパラを政権浮揚の思惑外れ、菅内閣は退陣する。そもそもスポーツを政権の維持に利用する、考えること自体間違っている。