青空食堂

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  熊本のコロナ感染が減少してきた。蔓延防止宣言の解除が、13日に決まった。やっと自粛生活に別れる時がやってくる。
 連日30度を超す猛暑日が体力、気力を奪っている。蔓延防止解除まで閉じ籠っていたら精神に異常をもたらすとの結論に至った。
 感染者が10名を切ったから、有明、天草沿岸のドライブをしようと、山友たちとの話はすぐにまとまった。
 山友たちとは、山々の木々、緑は普段に眺めている。今度は、広い大海原を見渡してストレス解消の提案に反対する者は誰一人いない。
 梅雨の晴れ間の有明海の眺望は、靄が立ち込めて今一であったが、気分の解放にはみんなのはしゃぎぶりから明らかである、
 昼は名物、青空食堂のチャンポンで腹を満たすことになった。しかし、代替わりしたのか、名物親父さんでなく、若者が料理人になっていた。名物料理チャンポンの面影は消え、期待する味は遠い昔になっていた。

野球部物語4

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  野球部の大会は一学期に集中する。にわか仕立ての我がチームは群大会を皮切りに試合が組まれている。エースは3年生、キャッチャーは新一年生の私。
 これで勝とうとは虫が良すぎる。群大会はコールドゲームの散々な結果になった。監督は怖い顔をして、落胆の様子。声を発することさえできなかった。
 監督は増々意固地になり、練習に力が入りより一層厳しい練習に明け暮れた。次の試合は勝てなくても、チーム一丸となり、善戦することを目標にした。
 ところが、目標とは裏腹に善戦むなしく、またコールドゲームに敗れ去った。ナインは落胆し、それ以上に監督は疲労の色を滲ませていた。
 それから、青年団チーム、アマチャチーム交流試合が組み込まれた。大人のバッターがビュンビュン振り回すので生きた心地がしなかった。
 キャッチャー指名した監督を恨んだ。逃げ出したかった。しかし、監督の熱意を感じ踏みとどまった。         つづく

野球部物語3

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玉名 高瀬川菖蒲
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  玉名 高瀬川菖蒲

一年生でレギュラーに選ばれた。真新しいユニホーム背番号2番の貸与があった。嬉しい反面、練習は苦痛の連続であった。
 キャッチャーは、守備のかなめであるが、練習中、一時も休まる暇はなく、バッターが空振りする度、ボールが体をかすり、ヒヤヒヤの連続である。
 なれないポジションに悪戦苦闘、身体は生傷の耐えることはなかった。監督が担任のため、愚痴や弱音を吐きたいが我慢するしかなかった。
 上級生がいないチームは、一回戦のコールド負け、青ざめた顔色の監督の落胆ぶりは、その後の練習厳しさに現れてきた。
 うさぎ跳び、猛ノック、猛ダッシュ、長時間の練習で帰宅は8時であった。疲れ果て、一人で食べる夕食は味もなくただかきこむだけであった。
 風呂に入り寝るだけで精一杯であった。今思うと3年生の退部は厳しい練習だけでなく、進学を控え不安があったんではなかろうか?当時は考えも及ばなかった。つづく

野球部物語2

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  メンバー18人に選ばれ、シートバッテング、ノックを受ける機会が与えられた。球拾いの毎日から逃れ練習が面白くなった。
 レギュラーには程遠い実力で、遠征メンバー15人に選ばれることはなかった。ところが、幸運んはどこに落ちているか分からない。。
 レギュラーのキャッチャーI君が急に退部すると申し出て来たのだ。大会直前であったが退部の決意は固く、チームはガタガタになった。
 キャッチャーはハードで、痛くて辛い。I君の退部理由である。レギュラーになりたいが、キャッチャーは嫌だと引き受け手がない。
 1年生にしては図体が大きかった私に監督の目が留まったのだ。「お前しかいない、チームを救ってくれ」の一言で決まった。
 私はキャッチャーのポジションだけは、勘弁願いたいと思っていたが、担任H監督の要請を断る勇気はない。レギュラーのポジションは得たが、苦難の歴史の始まりである。つづく

野球部物語1

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   私の野球物語を述べるには、枚数に限りがある中で、触りだけになる。野球物語を述べてみることにする。
 セパ交流戦が始まり、テレビの前に釘づけになっている。私は根っからの野球が大好きである。巨人を贔屓にしていて、負けると、機嫌が悪くなり、やけ酒をあをることもしばしばである。
 私の野球好きの原点は、中学校までさかのぼる。小学校ではソフトボール熱中していた。中学校に入学してから、何の部活に入るか迷っていた。
 担任のH先生が、野球部の監督だったので、成績を加点をしてくれるのではないかと、淡い不純な動機が入部の決め手になったのである。
 淡い期待は裏切られてしまった。練習が厳しく、声の大きい有名な先生であったのである。あまりの厳しさに、3年生の大半が、大会を前に退部してしまった。来る日も来る日も球拾いで、憧れの野球とはほど遠い現実であった。
 私も辞めたかったが、担任が監督では言い出せなかった。しかし、上級生が辞めたことで、18人のメンバーに選ばれ、レギュラーに。棚からぼたもちであった。
 明日につづく!

少年法改正

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  少年法が改正された。改正された少年法に私は納得がいかない点がある。一市井の私が意見を言ったところで、施行される少年法が変わることはないが!!
 疑問一、民法上、18歳から成人として扱われる。。成人年齢の引き下げである。当然、「保護者のいらない一人前の大人として扱われる」と思っていたがそうではない。
 改正法では、アルコールやタバコは認められていない。ギャンブブルもダメ。少年法は改正されたが制約が多い。健康、風紀の問題で責任が取れないと滅茶苦茶な見解である。それなら今までの少年法と何ら変わらない。
 18歳から成人として扱うなら、成人と同等の義務と権利を課すべきだと私は考える。確かに、酒、タバコは健康上悪いのは解っているが、それでも大人は飲むか吸うかは自分で決めるのが大人である。
 大人とは、成人とは、自分の事は自分で決めるのが自明の理である。身体に悪い、金の管理が出来ない様だったら今まで同様20斎まで少年法で保護されるべきである。
 まだまだ言いたい事はたくさんあるが、江戸時代、一人前の大人になる儀式、元服は11歳~から行われていた。

森の都

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 夏目漱石が第五高等学校に赴任するため上熊本駅に降り立った時に発した言葉である。「熊本は森の都である」。
 熊本は木々の緑に覆われた町だったのである。木々の緑は暮らしの潤いをもたらす存在である。「森の都」は熊本県民の誇りである。
 私は山登りが趣味である。山や大自然が大好きな人間である。緑の山々を眺めると、心は癒され、日頃のストレスを発散できる。森は命の水の源である。大自然に抱かれているようで山登りは心地よい。
 偶然にも、知り合いの熊日の記者二人が、今日の紙面で、森の大切さについて述べている。Y記者は、「森の都作戦」が50年続けれてきたのに、街路樹伐採計画に苦言を呈している。
 K記者は、金峰山の魅力を丁寧に取材して紙面を飾っている。知り合いの記者が紙面に載ると、隅々まで読んでしまう。応援したくなる。
 「森の都」と言ったら熊本。そんな熊本であって欲しい。それが熊本の魅力の原点である。