玉名 高瀬川菖蒲
玉名 高瀬川菖蒲
一年生でレギュラーに選ばれた。真新しいユニホーム背番号2番の貸与があった。嬉しい反面、練習は苦痛の連続であった。
キャッチャーは、守備のかなめであるが、練習中、一時も休まる暇はなく、バッターが空振りする度、ボールが体をかすり、ヒヤヒヤの連続である。
なれないポジションに悪戦苦闘、身体は生傷の耐えることはなかった。監督が担任のため、愚痴や弱音を吐きたいが我慢するしかなかった。
上級生がいないチームは、一回戦のコールド負け、青ざめた顔色の監督の落胆ぶりは、その後の練習厳しさに現れてきた。
うさぎ跳び、猛ノック、猛ダッシュ、長時間の練習で帰宅は8時であった。疲れ果て、一人で食べる夕食は味もなくただかきこむだけであった。
風呂に入り寝るだけで精一杯であった。今思うと3年生の退部は厳しい練習だけでなく、進学を控え不安があったんではなかろうか?当時は考えも及ばなかった。つづく