機雷

 熊日の朝刊を開けると、山友と受けたシンポジウムの写真に我々2人が写っていた。真剣にメモを取りながらの写真である。
文化欄一面に写真が載るなんて、我々が社会と一緒に生きている証拠である。手を挙げて、光岡さんとのエピソードを紹介したかったが、勇気がなかった。

 光岡さんとの出会いは、上司の家に下宿していた時代であった。文化人であった上司の家には、光岡さんを始め酒豪が集い、喧々諤々文学論を闘わしていた。
私は雑用係であった、集った皆さんの文学論、雑学を聞き役に回っていた。しかしその文化論は博識に富み聞き耳をを立て興味は尽きなかった。

 光岡さんの酒飲む姿勢は、どれだけ飲んでも崩れることはなく紳士であった。私は光岡さんに薫陶していて、今でも酒飲むときは光岡さんの姿勢を心掛けている。
直木賞を受賞されてお祝いの電報や電話一本もすることなく、申し訳ないと思っている。受賞後、市民会館で会ったが、あわただしくゆっくり話すことも出来なかった。「おめでとうございます」と言ったかどうか定かでない!!