暑熱順化前線

九州から始まった桜前線は順調に北上し、北海道に到達したと気象庁が発表した。熊本は3月中旬に開花宣言が発表されている。
日本列島、南では半そで暮らし、北は今から桜が咲き、セーター、コートは欠かせない。温暖化でも、九州に住んでいたい。
北海道、知床で遊覧船が沈没した。観光客、乗組員26名全員絶望視されている。海水温は2~3℃、海に投げ出されると1時間も持たないらしい。

凍り付くような荒れた海に投げ出され、さぞかし寒かったろうなと胸が痛む。安全を無視した観光はあつてはならない。
尊い命が、注意すれば防げたのに、残念でならない。ウクライナはロシアの侵攻を受け虫けらのように命を奪われている。

午後から、マージャンを楽しむ。暑くなるようだが、何を着ていくべきか悩んでいる。急な暑さに体が慣れていない。暑熱順化前線を気象庁が今季から発表すると言う。熱中症の注意喚起らしい。平和である。

記憶

独り暮らしは、ものぐさになる。何かにつけて面倒くさいのである。誰からも文句言われることがないので、気が付けばゴミの山になる。
戦後すぐ育った私は、勿体ない精神が沁みついている。マッチ一本、コンビニエンスストアから貰った、スプーン、箸、袋、大事にしまっている。

家を綺麗に保つには断捨離をする事である。何年も使わないものはキッパリ見切りをつけて捨てるべし。今はやりの断捨離である。私は心ならずも実行している。
断捨離と勿体ない精神は相反するが、ウジがわく生活はおさらばしたいが、捨てきれない精神も併せ持っている。

先日、お気に入りの湯飲みを割ってしまった。湯飲みには私と生活を共にしてきた。色んな記憶が詰まっている。割れた破片はきれいに掃除して片付けたが寂しい。
実家は外人夫婦に貸している。契約にうるさい外国人は、私にとって思い出のモノは何

一つ残さないのが条件である。私にとって捨てていいモノなどあろうはずがない。記憶は残る。

くつろぎの森グリーンピア八女

第四土曜日あ散歩の会の例会である。午前中は曇り、午後から本格的な雨になると天気予報が出ていた。
立田山散策は午前中に終わる。早起きして、空を見上げると今にも売り出しそうな黒い雲が蔽っていた。雨が降らなければ散歩日和になる。

早目に朝食をとり、準備万端、いざ出掛ける段になって、外に出ると雨粒がポツリポツリ落ちて来た。よりによって散歩の日に天気が崩れるなんて、ついてない。
傘をさして散歩はありえない。それでも集合場所に定時に着いた。雨が落ちる中、集合場所には会長と私の二人だけであった。
小雨だつたが、だんだん雨脚が強くなった。折角集合したが中止もやむを得ない。会長が「中止します。御苦労様」。

先日、黒木の大藤に行く途中、グリーンピア八女に立ち寄った。シャクナゲミツバツツジが満開であった。花は心に栄養と潤いをもたらす。晴れ晴れした気分になった。






植物学

学ぶことは楽しい。高齢者になって教室で孫娘と齢の変わらない先生に教わることはとにかく楽しい。
高齢者が、机を並べて講義を聞く。聞いた内容をすぐ忘れるが、忘れても、覚えていなくとも何も問題はない。テストがある訳でなく、指名されて答えなくとも怒られる心配もない。

宿題はない。ノートをとろうが、とるまいが自由である。講座は4回の年間計画があるが、出席は自由である。全て本人任せである。学ぶことの楽しさは、制約もなく、自由で、自己責任が心地よい。
仕事を辞めて、大学の社会人講座に通っていたが、コロナ禍で休講になっている。開講を心待ちにしているが、見通しが立たない。

そんな時山友が市民講座に誘ってくれた。コロナ禍でも学ぶ場所は用意されている。山友に感謝したい。
令和4年度の植物講座が始まった。私と同年代と思われる高齢者が熱心に講義を聞いている。みんなキラキラ輝いている。学ぶには年齢は関係ない。一生勉強である。

霊巌寺

八女市黒木町中心街はシャッター通りになっていた。食事を摂ろうと思っても見つけるのにひと苦労する。やっと一軒のラーメン屋さんにたどり着いた。
地元の若者が細々やっている感じの店で、昨年も世話になった。「一年ぶりに来ました、七夕さんです」「いらっしゃい、昨年もいらっしゃいましたね」、流石商売人よく覚えている。

旅先では地元の人が経営する店を贔屓にしている。地元の事は地元の人に聞くに限る。昨年は釈迦岳を紹介してもらった。
「地元でおすすめの所がありますか?」、「古刹の霊巌寺に、奇岩の男岩、女岩があります」渡りに船、迷わず霊巌寺に直行した。

住職に挨拶し、寺の由来を聞きお参りをした。霊巌和尚が悟りを開いた座禅岩に登ることにした。座禅岩にはどんなことがあっても登りたい。

登り始めたのはいいが、岩がゴロゴロした急坂と鎖の断崖絶壁をよじ登った。足元から下を見たら全身震えが来た。霊巌和尚の偉大さを改めて感じた。



 

黒木の大藤

黒木の藤は見事である。黒木のフジの美しさはどう表現したらよいか言葉が見つからない。素晴らしい、素敵だ、甘い香り、艶やかな紫、現場に立ち会わないとその美しさは言葉に出来ない。

今年は例年になく寒く、フジの開花が遅れていると勝手に思い込んでいた。念のため黒木の観光協会に電話してみると今が見頃との事である。
ぼやぼやしていると、黒木のフジを見損なう。春の楽しみは、黒木のフジをみることから始まる。福岡の八女市黒木の奥まったところにある。自宅から車で行くとたっぷり2時間かかる。

山友を誘って朝早く出掛けた。新緑の山また山、清々しい空気を吸ってのドライブは爽快である。山好きにはたまらない光景である。心がウキウキする。
例年黒木の町を挙げての大藤まつりは、コロナ禍で今年も中止になっている。それでも

平日に関わらず、大勢の花見客で賑わっていた。家に籠ってばかりいられない、人は美しいものを求めているのだ。美しい艶やかなフジを観て笑顔がはじけていた。

タケノコ生活

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タケノコ生活をしている。タケノコ生活の本来の意味は、毎日の食事にも困る貧乏生活の事であるが、私の場合は、それとはチョッと違う。
今年はタケノコの裏作で、前回掘りに行った2回とも空振りに近かった。時期も早かったせいもあろうが、不満足であった。

山友を誘って、タケノコ堀のリベンジに出掛けた。今回もダメならタケノコ堀はキッパリ諦める。たかがタケノコ堀、されどタケノコ堀。
探し始めたが、さっぱり見つからず今回もダメかと諦めかけたが、山友が次ぎ次ぎ探し出しエンジンがかかって来た。

タケノコ堀も、一人で探すより、ワイワイガヤガヤ、皆で探したり掘ったりするのが格別に楽しい。
大豊作、大収穫である。早速タケノコを茹いたが、あまりの多さに持て余し、処分に頭を悩ますに至った。近所に配るのも気が引ける。朝昼晩タケノコづくし、タケノコ生活になった。旬のものは少し頂く方が有難味がある。