すすり泣き

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突然、同級生Fから電話でがあった。同級生M君の事である。個人情報をベラベラ喋ることは控えなければならない。同級生のよしみで許してもらいたい。
M君はバレーボール、僕は野球と中学時代はあまり接点はなかった。県外へ集団就職の道を選んだことは知っていた。

家庭の事情で地元に帰って、嫁もさんをもらって幸せに暮らしていることも知っていた。お互い仕事や子育てに奮闘していたので交流はなかった。
生活や子育てが一段落して、同級生旅行や飲み会で一緒する機会があり、親しく話すことが出来た。同級生はうちとけて話す事に時間はかからなかった。
山あり谷ありの人生を語り合いながら、彼の苦労をしっかり聞くことが出来た、誰もが平安な、平板な人生は有ろうはずがない。

親孝行で、奥さん思い、子煩悩のM君が天国に召されると言う。酒を酌み交わし、身の上話を語り合つた、M君の笑顔が忘れられない。ふと、夜中に目を覚ました。涙ががこぼれ、すすり泣いた。

熊本地震ー6年

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6年前の4月14日、夕食後、テレビお観ながらリビングでくつろいでいた。それは忘れもしない9時すぎ、突然床が揺れだした。床が回りだした感覚だった。
苦労して建てたマイホームだが、もうこれで終わりだと思った。本棚は弾むように動くし、食器棚から茶碗類が転げ落ちる。地獄絵図とはこんな風景だろう。

余震があるし、家がつぶれたらひとたまりもなく押しつぶされるだろう。ひとまず近所の空き地に避難することにした。
空き地には、不安に駆られた近所の人が三々五々集まりだした。お互い地震の恐怖を語りながら余震の収まるのを待つていた。

余震は収まることはなかったが、家の被害は軽微で済んでいた。ところが、16日未明の地余震が本震を上回ったのである。

余震が本震を上回ったのが致命的だった。屋根瓦は飛ぶし、壁は崩れる、家は半壊になった。わが生涯に色々あったが、熊本地震は最大の出来事であった。こんな経験は2度としたくない。思い出したくないが、阿蘇大橋を通る度よみがえってくる。



カムカム

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NHK連続テレビ小説が今週より新たに始まった。親父、おふくろも好んで朝ドラを観ていた記憶がある。私も楽しみは朝ドラである。親の楽しみは子に遺伝するらしい。
新たに始まった「ちむどんどん」は、食べ物の話らしいからして面白い展開になるだろうと期待している。出だしはうるさいだけで私には不評である。我慢して観続けるしかない。

前作の「カムカムエヴリバディ」は毎回欠かさず観てしまった。ドラマの展開は最初から最後まで画面に釘づけになるほど面白かった。
ドラマはわたしの生きた時代と重なり合う場面が多かったせいもあるが、身につまされる問題が、心に響いたのかもしれない。
家制度、戦争、民主化、高度経済成長、私が歩いてきた歴史と重なり合う。戦争は知らないが、戦前の家制度や、社会の仕組みは戦後も戦前の生き方が色濃ゆく反映されていた。まだ息苦しさが社会を覆っていた。

私が自由を謳歌できたのは、自由を目ざした先人の地道な努力のお蔭である。自由が一人でやって来たのではない。カムカムは久し振りの傑作であった。

後期高齢者になって

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後期高齢者の仲間入りをした。昨日75歳を迎えたばかりの出来立てほやほやの新規後期高齢者である。皆様よろしくお願いします。少々の失敗はご容赦お願いします。
山友から誕生日を祝ってもらって感謝している。その上誕生日ケーキ迄までプレゼントして貰って感謝感謝である。ありがとうございました。

後期高齢者になってはしゃいでしまったが、本当の所、寂しい思いおしている。だんだん天国に近づいていることはまぎれもない事実である。
この世におさらばする事である。友人、知人の死を目の当たりにして、堂々と往生しているように思える。

心臓は止まり、息も出来ず、棺に横たわっている。私には耐えられず、大声で叫び逃げ出したいくらいだ。私には堂々と死に臨むことが出来るだろうか、心もとない。

後期高齢者になって、人間的に成長しているのか、まだまだ半人前で未熟である。もう少し生きて、堂々と大往生できるよう励みたい。

viva75歳

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今日は私の誕生日である。随分生きてきたものである。同級生の訃報が続いているが、生きているだけで有り難いと思っている。。
今日から俺も後期高齢者の仲間入りだ。万歳後期高齢者!!万歳75歳!!
後期高齢者になつて本当にお目出度いと思っている。高齢者になって喜んでいるのは私ぐらいだろうと思っている。

先ずは医療費が安くなる。遊び暮らしていても肩身の狭い思いをしないで済む。バスに乗れば優待席に遠慮なく座れるようになれる。
高齢者には夢がないと言われているらしいが、とんでもない。私にはでっかい夢がある。宇宙旅行に行きたい。世界一週したい、限りなく夢があるのだ。

夢は夢で終わるのが夢だが、私は絶対実現して見せると山友に言っているが一少笑にして相手にしてくれない。信じてくれない。言ったのが4月1日である。

山友が誕生会を祝ってくれた。グリンピースごはん、食べたかったトンカツ、元気の源は食事である。75(12本)本のロウソクは一気に吹き消した。まだまだ若いもんには負けない。

四暗刻

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新聞受けに新聞がなかった。そーだ、今日は休刊日である。すっかり忘れていた。東の空は赤く染まっていた。午後から雨の予報が出ていたが青空が広がっていた。
雨では洗濯、掃除もする気はしない。ごはん、味噌汁は昨夜の残り、やることがない手持無沙汰である。

今日から連続テレビ小説、「ちむどんどん」が始まった。「ちむどんどん」の意味は「胸がワクワクする気持ち」、を表す沖縄方言である。
初回を観た感じでは食べ物がよく出てくる内容のようである。食べ物が出てくる物語は独り者身にとって期待が持てる。
面白いに越したことないが、面白くなかろうが朝食の後は8時からはテレビの前に陣どるのが習慣である。

雨は予報通り降り出して来た。雨だとマージャンに没頭できる。最近たて続けに役満を積もった。ツキが来ているかもしれない。

立田山を歩く

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素晴らしい天気が続いている。それに随分暖かくなり外で動き回るには絶好の季節になった。家でゴロゴロしている場合でない。
私は、歩くことが好きである。山登り、散策、探索、全て歩くことが基本である。目的をもって歩くのでなく、ただ歩けばいいのである。
何処でも歩ければいいのだが、空気の良い、眺望が素晴らしい自然豊かなところがあるに越したことはない。

都市のど真ん中の立田山散策は、私の好きなコースである。体に優しいコースだが、ま直ぐな道はなく、ほどよく曲がったり、登ったり、ゆったりうねっている。
今からの季節、木々の間から漏れてくるこもろびを浴びて歩くのは、何とも言えない気持ちいいものである。夏、秋、冬それぞれ姿を変え迎えてくれる。

悩みの無いように見られがちな私だが、私にだって悩みはある。日常のストレスを感じたら歩くに限る。時には落ち着いて身の回りを眺めることが必要である。月に1~2回程度の立田山歩きだが、行き交うたびの挨拶に生き返る。

おはよう!!こんにちは!!