勝てば官軍負ければ賊軍、の例え通り、勝者の歴史である。明智光秀も織田信長を
倒し、天下を取っていれば日本史のヒーローになっていたはずである。
光秀は熊本に関係があることは、細川家に嫁いだガラシャ玉で大抵の肥後人は
知っている。それでも主人を討った賊軍として口にする事は憚れてきた。
新聞の、「天草に眠る 光秀の孫.三宅藤兵衛」の見出しに釘付けになった。
光秀の孫なら、ガラシャ玉は叔母、初代藩主細川忠利はいとこにあたる。
光秀の長女、秀子の子、三宅藤兵衛の墓が熊本天草にあることは不勉強で全く
知らなかった。
熊本初代藩主のいとこに当たる三宅藤兵衛の墓は、大河ドラマで注目され、墓参に
訪れる人が増えていると言う。
私も、光秀の孫の墓がどう扱われているのか、興味が湧いてきた。訪れてみると光秀の
孫の墓は、それはそれはみすぼらしいものであった。文化財に指定されていたのが
せめての救いである。