ユーモアは、生活の一服の清涼剤である。ギスギスした現代にはユーモアは一種の潤滑剤である。日本人には真面目過ぎて暮らしにゆとりが欠けていると言われている。
その証左に、国会の討論を眺めていると、相手の欠点ばかり攻めている。少し斜めに構えて、ユーモアを交えると真実が浮かび上がってくる。
しかし、ユーモアの取り扱いは難しい。場所や雰囲気をわきまえないと、笑えるどころか、しらけられたり、失笑されたり、場合によっては怒りを買ったりする。
私は、西洋紳士の真似をして、話の中に、ユーモア取り入れようと努力しているが、たいていは場違いの雰囲気を醸し出している。
演説の名手は、ユーモアの達人である。森元総理は演説上手と歯に着せぬ言葉で人気があったが、ユーモアのつもりで発した言葉が、国民の顰蹙を買った。
ジョーク、冗談、ユーモア、使うの自由だが、根底に真面目な人間でないと使っても相手にされない。古代ギリシャ, 哲学者の言葉である。