リリー.フランキー著、「東京タワー」を読んで久しい。映画化されたので早速
観に行った記憶がある。主演は忘れたが母親役で故樹木希林であったはずだ。
原作も映画も、今思い出そうとしても思い出せない。どんなに感動しても
何もかも忘れてしまっては何の意味があるかと訝られる。
しかし、読んだ、映画を観た直顔は感度したことだけは間違いない。自分の血となり肉となることを期待して、読んだり見たりはしない。ただ楽しければよいのである。
ベストセラーで読む日本の近代史で、佐藤優氏が「東京タワー」の読後感を寄稿している感想文を読むと、20年前あのかすかだが、読後感が蘇える。
あーあ、こんなあらすじであったのか、こんな感想をする人がいたのかと、佐藤さんの捉え方に感心した。日本社会がこの作品に凝縮されていると言うのである。
日本社会の凝縮が何なのかは、それは、人間の根幹的な問題で、一つは嫁姑の関係である。日本ばかりの問題ではないだろうが、普遍的な問題である。