歎異抄

 熊本日日新聞に、石坂浩二、「歎異抄」を語るの記事が目に留まった。俳優の石坂浩二歎異抄をすすめるのに興味が湧いたのである。

 こんなにコンパクトで、重みのある歎異抄は、絶対面白いと石坂さんがコメントしている。私は学生時代、哲学の教授にすすめられ、歎異抄を購入したことがある。一生のバイブルになるからと言われたことは覚えている。

 しかし、薄っぺらの文庫本だったが、本気で読んんだ事はなく、親鸞の教え位の知識で終えて本棚の隅に置いたままだった。

 それでも大事な本だと思っていたから、東京から引っ越しの荷物の中に忍ばせておいた。又独立した時も歎異抄は捨てずに持参した。

 ことあるごとに、歎異抄をじっくり読みたいと、手に取っていたが、今日まで熟読は出来なかった。私の蔵書の中に数年前まであったことは確かだが、見当たらない。

 落ち着いて探せばあるはずだが、重い腰は中々挙がらない。図書館に行ったついでに歎異抄を借りてきた。黄ばんだ文庫本より、太字の単行本で読むことにした。

 歎異抄を理解する年齢に達したと思っている。

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