ゆとり

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最近、自分に何かか足りないような気がしてならない。別の角度から測ると、ゆとりが無いように思えてならない。
 60歳で仕事を辞め、贅沢もしたし、旅にも出た。時間はたっぷりできたし、やる気さえあれば何の制約もないし、壁もない。ゆとりそのものである。
 こんな身分になって、不平不満があり追うはずがないと、私を知る友人から羨ましがられているが、時間があり余るほどあると、余計な事を考えてしまうものだ。
 閉じ籠り、不登校、鬱、これらは、文明病ともいわれているが、時間が有り余るほどあるのが原因の一つだとも言われている。
 おしゃべりで、相手を常に笑わせたいと思っていた私が、ユーモアが影を潜めた気がする。洒落た言葉で、相手をクスリと笑わせたいが意識すればするほど滑ってしまう。
 イギリス紳士の真似をするわけでないが、話が弾むためにはユーモアはどの国でも大切である。ゆとりとはユーモアである。
 「人間は考える葦である」、哲学者パスカルの言葉である。深刻な状態では何も考えず、暇でゆとりのある時、人は考え悩むのである。