都道府県対抗女子駅伝

駅伝ファンにとってたまらない駅伝シーズンの到来である。全日本大学駅伝、から始まって、男女高校駅伝、元旦の実業団駅伝、箱根駅伝、昨日あった都道府県対抗女子駅伝、テレビから離れられない。
それ以外にもたくさんの駅伝が全国津々浦々まで開催されている。日本人は駅伝好きの国民性があるようだ。

昨日京都で行われた、都道府県女子駅伝は期待外れにおわった。私は駅伝ファンであって、専門家でない。個人的の見解であって、言いたい事言ううに過ぎない。
監督の言葉で「後半勝負、後で追い上げます」。こんなコメントする監督で良い成績を残す事永年駅伝を見守り続けた経験からまずない。

駅伝は前半勝負が鉄即である。最初出遅れたら、後の走者は焦ってしまって、オーバーペースになり本来の走りができない。
私の解説が正しいかどうかは解らないが、言いたいことを言わせてもらいたい。あれこれ批評するのも駅伝の楽しみである。因みに熊本は17位あった。





小正月

1月15日、小正月、ドンドヤである。正月飾りや、しめ縄を燃やして正月の気分とおさらばする、けじめの日でもある。
たまたま今年は本日が日曜日で、昔から続いている伝統行事に参加する機会もあるが、15日が祝日(成人の日)でなくなってから子供の参加が途絶えた。

子供の内、地域の伝統行事に参加することが、地域、故郷の愛着につながるし、情緒面にも良い影響をもたらすはずである。
私は高校生まで、モグラ打ちやドンドヤに参加していたが、情緒面で良かったかと言えば、私に限つて言えば、こころもとない。

ドンドヤで、書初めを空高く飛ばすと習字が上手くなると信じていた。ドンドヤの火で鏡モチを炙って食べると、一年中健康で暮らせると大人から言われていた。
孟宗竹や真竹を組んで、藁で囲み、火の手があがる。赤々と燃え上がる炎は、身体を十分温めてくれる。これから一年間頑張る意欲が湧いてくる。

牡蠣小屋

山友の仲間たちと牡蠣小屋で新年会を開いた。牡蠣小屋といっても吹きさらしでなく、ちゃんとした居酒屋風の店である。
5~6年前に利用した時は、ブドウ園の横に屋根だけついた粗末な吹きさらしの店であった。寒くてビールどころでなかった。

高齢のSさんが、牡蠣小屋に行ったことがなく、「いっぺん行ってみたい」との要望から、新年会を牡蠣小屋に決まったのである。
以前の牡蠣小屋のイメージではなく、快適な空間のお店になっていた。牡蠣と焼き場は店が用意して、あとの食材、飲み物は持ち込み自由である。

評判の聞きつけて、店は満員盛況である。我々も、柚子、漬物、サラダ、日本一美味しい大津の濱寿司の巻きずし、高森の酒、霊山を持ち込んだ。
昼間からの酒は酔いが回るのが早い。周りの目があるので、高齢者の飲みすぎは見苦しい。ほろ酔い加減になって口も滑らかになつたところで打ち上げにした。楽しい新年会になった。





ノンフィクション

私はノンフィクションの分野、文章が好きである。創作のまじらない読み物、例えば紀行文、歴史、実話の物語等である。
去年亡くなった渡辺京二さん、勿論沢木耕太郎さんには薫陶を受けている。私が知らないノンフィクション作家は五万といる。

その中の一人、夫婦別姓に取り組んだノンフィクション作家、沖藤典子さんを、熊日が取りあげている。
新著「父の支配を乗り越えた時、娘と名字」、紹介記事、感想文を読んで、障りだけしか知らないが、手にとって読みたくなった。

早速本屋TUTAYAに購入に行ったが、売り切れで、当分手に入れそうにない。夫婦別姓は中々実現できないが、それだけ世間の関心は高いと言うう事だろう。
男尊女卑の考え方に凝り固まった父親から「女の子だから名字を継がない、育て甲斐がない」とさげすまされた。ノンフィクションだから沖藤さんの半生を知りたくなった。

春の陽気

夜半に目を覚ましなかなか寝付ない。静かな深夜、ラジオの深夜放送が伴になる。音楽や語り、それに情報、ラジオから心に染み入ってくる。
天気予報によると、今日は春の陽気になると言う。道理で汗かいて下着が濡れている。寒さ対策で、重ね着していた。寒いなら重ね着、暑いなら脱ぐ。

少し暖かいと、起きるのが楽である。寒いのが苦手になった。朝刊お取り、リビングに入ると、デンキカーペット、エアコンのスイッチを無意識に入れた。
暫くすると汗が出始めた。ラジオで春の陽気と言っていた。大寒に汗ばむ、快適な暮らしだ。ウクライナの人が知ったら羨ましがるだろう。

山友の仲間たちと新年会を牡蠣小屋ですることにしている。下見はしているし、牡蠣以外持ち込み自由である。
あれこれと準備、打ち合わせ、大変であるが、楽しむためには苦労は厭わない。牡蠣には日本酒、準備万端である。

天路の旅人」

スマホが震えた。何事かと耳に当てると山友からだ。「沢木耕太郎がNKの、(クローズアップ現代)に出ているよ」と連絡してきた。
沢木さんがテレビにに出る番組を見落としていた。熱烈フアンを自認している私は、ファン失格である。「新網走番外地」なるヤクザ映画を観ていたのである。

早速チャンネルを切り替え、沢木さんがまぎれもなくテレビ画面に登場していた。一語も聞き漏らすまいと、瞬きも惜しむほど、画面に釘づけになった。
昨年11月に出版された、「天路の旅人」についての思いのたけを吐露されていた。私は出版されて直ぐ購入したが、それで安心してしまい、2ヶ月間、机に積読だけであった。
一ページも開かず帯封もそのままだ。読まない理由は五万とある。目が薄くなった。確かに漢字は読みずらい。
それより、パソコンのユーチューブでゲームや情報が手っ取り早い。読書の楽しさを奪われていた。沢木さんの言葉一つ一つが胸に刺さった。人生には、考える力と、自由が一番である。

鏡開き

昔ほどでないが、正月を待つ心模様は、今も、昔も変わらない。「もう一つ寝るとお正月」正月が来るのを待ちのぞんでいた。正月は特別な日であった。
今日は暖かい朝だった。ジャンパーも羽織らず外に出たが、寒くない。独り身であるが、正月は心が華やいで高揚していた。日の出の太陽も輝きを増しているようだった。

明日は、11日、鏡開き、田舎では明日で正月終わり、玄関に飾つていたしめ飾り、供えていた鏡餅、それぞれの役目は終わり、正月気分ともお別れだ。
巷では正月の風習も廃れがちだが、戦後すぐ生まれの私には身体に沁みついている。そう言う反面、七草がゆをすするのは忘れていた。

私は偉そうに昔の事を持ち出すが、私が一番近代文明に翻弄されている。私にできることは、朝6時に起き、先祖に一番茶を供え、炊事洗濯、掃除、続けること位である。
鏡開きには一日早いが神様に供えていた鏡餅お食べてみた。食えた代物でない。どんなに焼いても煮ても柔らかくならない。捨てたら罰当たりになる。