国葬

安倍元総理の国葬の日である。国葬反対のデモが、賛成のデモが整然と行われている。民主主義では自分の意思を堂々と表明出来ることである。
ロシアでは、戦争反対、戦争総動員反対を叫べば、警棒で殴られたり、頭を蹴られたり、すぐさま拘束される。

安倍元総理が、銃弾に倒れた直後は、国葬賛成が多数を占めていた。それがどうだろうか、日が経つにつれ反対が多くなった。
安倍元総理の表の部分で評価されていたが、負の部分が明るみに出るにつれ、実態を国民が知るに至った。国葬にふさわしい指導者だっただろうか。

朝からワイドショーは安倍元総理の国葬の話題一色である。私は一個人して安倍元総理の御冥福は祈りたい事には変わりない。
願わくは、日本国民の大多数が弔意を表す国葬であって欲しい。大多数が反対では国葬の意味がない。テレビでは国葬の生中継が放映されている。

台風の季節

小笠原諸島付近で発生した台風17号は日本列島に近付いている。台風17号は九州を逸れる予想であるが、先ずは一安心である。
9月は台風の季節である。9月は残り少ないが台風が次ぎ次ぎやって来た。今まで経験したことのない猛烈な台風が襲来すると警告するが熊本は安全であった。

温暖化の影響で、台風自体は減っているらしいが、一つ一つの台風は大型にになっている。今回の台風15号は、熊本には影響が少なかったが、宮崎、静岡では甚大な被害が発生している。洪水、土砂災害は勿論、断水や大規模停電に住民生活は大混乱である。
電気、水は生活の生命線である。どちらが欠けても生活は成り立たない。文明、文化生活も自然災害にはもろいものである。

6月~9月が台風の季節であった。ところが気温の変動で、10月まで、台風の季節と気象予報士が真顔で話していた。
資源を浪費して、温暖化になり、自然災害が多発、季節の境目がなくなった。、四季の移り変わりが日本文化を支えて来た。自業自得である。

南蛮キセル

南蛮キセル

散歩の会、立田山コースの途中に南蛮キセルが咲いている。楠クリニックを出発し、立田山を一周して、昼食を仲間と一緒に摂り、楠クリニックに帰ってくるコースである。
昼食して、散歩が終盤に南蛮キセルが咲いていている。Kさんがススキの中に咲いている純白の花が南蛮キセルと教えてくれた。私は可憐な花の南蛮キセルに見入ってしまった。

ススキは、俵山、阿蘇山、くじゅう連山に山ほど群生している。毎年南蛮キセルが花開く頃、注意深く探している。
山友とススキをかき分けさがしていたが、南蛮キセルがは見つからず諦めていた。自然の花は簡単に寄せ付けない。

昨日、気分転換に阿蘇高原に山友を誘って散策に出かけた。ススキは風になびいて秋の風情を醸し出していた。阿蘇山に向かって大きな深呼吸をすると、ストレスは飛ぶ出した。
ところが、南蛮キセルがに出会った。今までどんなに探しても見つからなかった南蛮キセルを山友が発見した。散策道の端に可憐な花がひっそり咲いていた。感動して佇んだ。山友ありがとう!!

秋分の日

暑さ寒さも彼岸までと昔の人はよく言ったものだ。温暖化の影響は有っても季節は巡る。風呂から上がってもクーラーの世話にならなくても済む。
あんなに蒸し暑かったのが嘘のようだ。寝苦しく、なかなか寝付けなかったが、直ぐ寝入ってしまう。

彼岸の中日、宗教心のない私でも仏壇に手を合わせ、先祖に感謝し、家族、友人の安全をお祈りする。神棚にも同様にお祈りする。
一人になってよく台所に立つようになった。進んで料理をするようになつたのでないが、
男が包丁やフライパンを使うのは普通になっている。

我々が育った時代は戦後民主主義は定着していなかった。「男子厨房に入るべからず」に、薫陶を受け祖父母に育てられた。料理や台所仕事は女性の領分であった。
食事しないと死んでしまう。料理をしないと生きていけない。男も厨房に入るべきでああるに世の中は大きく変わった。秋分の日、先祖は下界のわたしをどう思っているだろうっか。





ポテトサラダ

大関正代は初日こそ白星だったが、その後9連敗した。昨日はやっと2勝目を挙げたが、来場所はカド番でまけ超したら大関陥落だ。
大関御嶽海は、昨日負けて、負け超した。折角努力して大関になつても実力がないければ、平幕に逆戻りだ。スポーツの世界は弱肉強食で容赦がない。

出身地宇土市では正代が白星あげる度花火を打ち上げる。今場所は未だ2発しか夜空を飾っていない。
県民の期待をー身に受けてプレッシャーを感じるのはわかるが、それをはねのけてこそ大関の看板だろう。御嶽海の二の舞だけは踏んで欲しくない。

ポテトサラダを最近食卓に上るようになった。得意料理のレパートリーが少し広がった。料理教室歴16年、面目躍如である。
今日のポテトサラダはシーチキンを入れてみた。なんでも入れても良いとは思わないが、工夫して色々試して私の味を披露したいと思っている。試食の結果笑顔がこぼれた。大満足である。

手羽先のマーマレード煮



ワイドショーを観ていたらニュース速報が入つた。国葬にに反対して焼身自殺したとのことである。年齢は70過ぎの私と同年代である。
そもそも安倍元総理が青年に暗殺されたことから始まっている。いかなる理由があろうと暴力は反対である。暴力では何事も解決しない。

国葬には私も反対である。反対だからと言って焼身自殺はしない。70歳過ぎの老人が、国葬に反対だと言って焼身自殺しか訴える手段がなかったのだろうか。若者ならいざ知らず、分別も道理をっわきまえた熟年者のやることだろうか。
義憤でやって良い事と、悪いこと位解るはずで、模範お示すにはお粗末すぎる。国を動かすには命を懸けるぐらいの意気込みがなければならないが、命を粗末にするべきでない。

最近、あっさりした食事でお茶を濁している。インスタントやレトルト食品が食卓に上つている。栄養がある手作り料理を食べたくなった。
山友に習った、「マーマレード手羽先煮」は美味しくて栄養満点である。今回は一工夫してゆでタマゴ5個入れてみた。最高の味に仕上がった。

おいしいごはんが食べられますようにー高瀬隼子著

原稿用紙200枚、短編小説である。第67回芥川賞受賞作、「おいしいごはんが食べられますように」。長さにして70ぺージ、文芸春秋に受賞作が掲載してある。
購入して半月ほったらかしていたが、ようやく重い腰をあげ、読み始めた。目がかすみ、たどたどしく読み始めたが、あまり気乗りがしない、興味が湧かない書き出しである。

70ページ位の小説、我慢して読み続ける程もない。目で追って行けば理解出来なくても読み上げることは出来る。
会社勤めの男女間の他愛無いやり取りである。私は独立する前はサラリーマンであった。会社員の心情はよく理解できる。

会社員は、仕事が出来るから出世できるとは限らない。中には実力がなくても要領だけで上手に世渡りする輩もいる。
社会ので辛いことがあっても、我慢して乗り越えてしまう、どうにか持ちこたえてしまうサラリーマンの内情をつぶさに描いている。おいしいごはんを食べていますか?