自宅で本お読んだり、テレビを観たり、家の周りを掃除したり気ままに過ごしている。家に籠っていても苦にならない人間である。

リビングのチャイムが鳴ったので外に出てみると、見知らぬ女の人が立っていた。私に若い女の人の用事があるはずがない。
インターホンで要件を切り出さないので、ドアを開けてしまったが、変な宗教かセールスに引っかかってしまったと後悔したが、後の祭りである。

「本日は75歳以上の一人暮らしの皆様のお宅を訪問させていただきました」「民生委員の○○です」、丁寧な物腰である。
私は高齢者を騙す悪徳セールスと身構えて、ぶっきらぼうな返事おしていたが、誠に申し訳なく、「失礼しました」と非礼を詫びた。
「一人暮らしの高齢者は閉じ籠りになりがちなので、町内のイベントにお出かけ下さい、何でも相談して下さい」。優しい眼差しとことばづかいに恐縮してしまった。

庭の梅はたわわに実つている。登山には梅干しは必需品である。おにぎりを頂上で食べる味は格別である。一年間分の梅を山友と漬けた。家に籠っている場合でない。

自家製

一週間は何曜から始まるか?日曜から始まる説もあれば、月曜から始まると頑なまでに信じている人がいる。日曜からと月曜から始まる暦があるが、ネットによると月曜が始まると根拠を示している。
私も週の初めは月曜がしっくりいく。月曜から土曜までしっかり勉強して日曜はゆっくり休む習慣が身についている。

毎日が日曜の高齢者にとって、曜日は関係ないと思っていたが、やはり月曜は精神的にシャンとする。他の曜日とは違うのである。
新聞を取り、朝食の準備、お茶の一杯もいただくと生きている感覚が目を覚ます。自家製の味噌汁、阿蘇高菜漬け、梅干し、ラッキョを美味しく食べる。

平凡な日常が始まるが、私の朝食は手作り、自家製のおかずばかりである。自家製は、当然だが、自分で作った実感があり、食後の満足感が全然違う。
今年も、手作りを心掛けたい。庭先の梅は熟してきたし、宮崎産のラッキョも取り入れが始まった。美味しいご飯をいただくには、自家製に拘っている。

子は宝

ワイドナショーをよく見る。月~日曜、朝、昼、夜、まんべんなく見る。2月24日、ロシアのウクライナ侵攻がワイドナショーを独占している。
3年前、家族で山梨のキャンプに来ていた、小学1年の女の子が行方不明になった。ワイドショーはこぞって取り上げた。

「自分がもう少し注意していたら」と、母親は悲しみをこらえて、気丈にマスコミに答えていた。あまりにも堂々とした受け答えに、ネット上では中傷や憶測が乱れ飛んだ。
山梨の女児行方不明は、時が経つにつれ関心は薄れ忘れ去っていた。ところが、4月にキャンプ場近くの山で、頭の骨が発見され、ワイドナショーウクライナ侵攻いっぺん倒から女児行方不明も報道される様になった。

科学的DNA検査の結果が出ても、母親は生きていると信じて疑わない。「子どもは私の宝です」と答える母親に、私の心は締め付けられた。確かに子供は宝である。
次に発見された肩甲骨のDNA型が完全に一致した。死亡と断定されたのだ。悲しい結末になったが、我が子の死を受け入れるしかない。次のステップに進むしかない。

沖縄本土復帰50年

15日、沖縄が日本に復帰して50年になる。沖縄出身のHさんとの付き合いも50年を迎える。と言うことは、沖縄が日本に復帰して以来の付き合いになる。
当時の電電公社(dokomo)に勤めていらした。御主人は穏やかな紳士、奥さんは優しい、料理上手な人であった。沖縄料理をご馳走してもらった思い出がある。

仕事を辞めた後、Hさんから招待を受け沖縄を訪問した。空港に着くやいなや普天間基地に案内された。世界一危険な空港と言われる所以がよく解った。
沖縄が抱える基地問題沖縄戦、経済の事を真剣に語ってくれた。日本で一緒の時は、沖縄について何一つ語ってくれなかったHさんが饒舌になられた。

沖縄の県民所得は本土の7割しかない。米軍基地があるが故に、色んな事件に巻き込まれる。沖縄あ差別されていると熱弁された。
紺碧の沖縄の海に案内されたついでにHさんの別荘に立ち寄った。優雅な暮らしだ。沖縄と本土の経済格差を口にしていたHさん。落差に自問するしかなかった。

値上げラッシュ

テレビを観ていたら、ニューヨークではラーメンと餃子の定食が、3700円が5000円に値上がりしていると、ニューヨーク子が生活の苦しさを嘆いていた。
ラーメン定食、3700円でも高すぎる。それが5000円になると、家族4人で食べたら2万円になる。ラーメン定食をおいそれと食べれない。

ガソリンとガスが販売の生業にしていたので、価格は気にしたことはない。値上がりしても、必要なものは必要である。
この処のガソリン価格は異常の値上がりである。それに、ガス、電気代の請求書を眺めて驚いた。私はちゃんと主夫をしているのである。

今までは無頓着であったが、家計を預かっている身にとって世の中の情報には敏感にならざるを得なくなった。一円を大事にしなければ主夫は務まらない。
経済学者によると、緩やかなインフレは経済を活性化すると言う。実感として物の値段が上がるのは年金生活者にとっては大きな痛手である。主夫4年目の感想である。

祖父へ

ウクライナとロシアが戦っている。毎日戦争の惨状が写しだされている。飽きもせずそれを眺めている私がいる。
大量の戦争の情報に接すると否が応でも反戦思想になる。そして平和のために何科か役に立つことはないかと思うが、立ちすくんでいる。ロシアの理不尽な、人道に反する攻撃に怒りがこみ上げるが為す術もない。

祖父の軍服姿の集合写真が一枚ある。満州で写った写真である。日露戦争に従軍したらしいが、戦争の話は聞いたことがない。
今のロシア軍の残忍非道の仕打ちをみるにつけ、よく生きて帰れれたものだ。戦地で命を落としていたら今の私はいない。

今思えば、祖父に戦争の体験を詳しく聞きたがったが、それには幼すぎた。1885年福岡生まれ、熊本には官吏として赴任、行政、教育、そして神主として活動した。
祖父の亡くなった年齢に達しようとしている私は、今だ定まらず、迷いながら生きている。戦地に赴いた祖父には絶対かなわない。

健忘症

 






もの忘れが酷くなった。若い時からもの忘れは私の専売特許であった。若い時はもの忘れしても、元来呑気な性格で気にする事もなっかった。
忘れることも人間らしいとうそぶいていた。笑って済まされるのも30歳位までで、何時までも許されるほど世間は甘くない。

友達の結婚式に招待されたことをすっかり忘れて、気づいたときは後の祭りであった。申し訳ない事であり、すみませんでは許されないことである。
もの忘れがひどくなるのを見かねて、山友からメモ帖をつけることをアドバイスされた。最初は真面目につけていたが、その内、元の木阿弥になつたのに、時間はかからなかった。

出掛ける時、一番気をつけるのは、ガスは消したか、次に電気、戸締り。ガスだけは消し忘れが火災につながるので、特に注意している。
今日は山友と近所の餃子屋に食事を共にした。清算してい自宅に帰る途中、バックを忘れた。平謝りしてお店に引き返してもらった。迷惑をかけてしまった。もの忘れで済ましている間はよいが、ボケてしまったら始末におえない。「まだ何も食べていません」