五月病

病院にかかると病気になる。病気に縁のなかった若い頃、言いたい放題、厚顔無恥であった。当時を振り返ると若気の至りである。
定期的に病院に通っている。持病の糖尿病、前立腺肥大、歯医者に眼科、薬は一日たりとも欠かせない。

先般、血液検査を受けた。前立腺がんの疑いがあるのでMRI検査を主治医から強く勧められた。やはり、病院にかかると病気が見つかる。
検査の結果、疑いが晴れた。近くに人がいなければ、大声でバンザイを叫びたいくらい、嬉しかったし、ホッとした。

しかし、新たに病気が見つかった。血栓が出来やすい体質で精密検査をすすめられた。病院にかかると病気になることは本当であった。
豪放磊落にみられる私だが、気は小さい方である。次ぎ次ぎ病気が見つかると精神が病む。学生の五月病は聞いたことはあるが、高齢者の五月病もきっとある。

母の日

ゴールデンウイーク期間中、祝日が次ぎ次ぎやって来る。多すぎて祝日の意義を噛みしめる暇もない。昭和の日、憲法記念日子供の日
祝日ではないが、5月1日はメーデー、8日は母の日、国民的行事が目白押しである。あまり多いと有難味が薄れる。

個人的には1日は結婚記念日、東京の娘が電話があるまですっかり忘れていた。結婚記念日は連れ合いが生きていればこそで、覚えていても祝う気になれない。
母の日は特別の日である。。「親孝行したいとき親は無し」、とはよく言ったものだ。特に母親にはたいそう世話になった。

「親孝行とは親に心配かけないことだ」と、うそぶいていたが、相当心配をかけてしまった。特に独立するときは、物心両面面倒かけてしまった。
母親の大反対を押し切って独立したが、独立後、その母親が一番応援してくれた。感謝しても感謝しきれない思いがある。母の日は苦い思い出である。忘れてはいけない日でもある。





飽和潜水

知床半島沖で観光船が沈没して2週間経つた。厳寒の海に投げ出されたら命は30分もたないと言われている。家族には残酷だが絶望である。
家族や親族は遺体が発見されるまでは、万が一生きている望みを捨てない。肉親であればその心は十分理解できる。生死の決着を早くつけないと悲しみは続く。

観光船は水深120mの深海に横たわっている。我々が暮らしている地上は1気圧だが、120mの深海は12気圧になる。
高圧の深海で作業となると、命の危険が伴う。私は、8m潜った経験が有るが、とてもじゃないけど、まともな判断が出来る状況でない。耳はガンガンするし、暗闇だ。

鹿児島から駆け付けた特殊技術を持つサルベージ会社が調査を開始した。水中カメラを駆使して不明の乗客を探すと言う。
120mの深海の環境と同じ状態にして、体を慣らして作業にとりかかる。「飽和潜水」、と言う言葉を始めて知った。色んな仕事があるものだ。地味だがなくてはならない仕事である。





くまもと花博

人々は花を観ると思わず笑顔がこぼれる。花を観て怒ったり不機嫌になる者はいない。熊本市で国内最大級の、「花と緑の祭典」が開かれている。
熊本市内の目抜き通りに花と緑のオブジェがところ狭しと飾られている。花と緑が自然に触れられるようにしてある。

街中に色鮮やかな花と緑に囲まれ、コロナ禍で沈みがちな心に潤いを与えてくれるようだ。くまもと花博フェアの期間中の一過性で終わるでなく、年中花と緑に囲まれた桜町、下通、上通であってほしい。
36年ぶり2回目の緑化フェアは前回と較べ身近になつている。立田山、街中、江津湖となじみ深い場所が主会場になっている。

くまもと動植物園の大花壇が素晴らしいと紹介されている。前回の緑化フェアで2万個の実を付けたトマトに感動したこと思い出す。
ゴールデンウイーク期間中、緑化フェアの一端に触れ合う機会を得た。花と緑は人間社会にとってなくてはならない。

 

蝉しぐれ

ゴールデンウイークは残り2日、おおむね天気が続いている。良い天気に誘われどこの行楽地も多くの人出で混雑していた。
連休各地で過ごした多くの人が帰路に就いて鉄道、空路は満席になり、道路は渋滞を引き起こしていた。コロナ禍であるが、規制全面解除が賑わいに拍車がかかっている。

私はゴールデンウイーク期間中、楽しい時間を過ごした。山登り、映画鑑賞、それに庭木の剪定、ビデオ、音楽の視聴、やりたい事が出来有意義であった。
身体を動かしたり、頭脳を刺激したり、休養をとり、バランスを心掛けている。生活に注意していても確実にすべてに衰えを感じている。

加齢による衰えは、誰にも平等に訪れる、抗うことはできない。すんなり受けいれるには時間がかかる。
「ひまわり」、「蝉しぐれ」、人間のすばらしさを謳った映画であった。良い映画鑑賞すると、心が温かくなる。生きる意欲が湧いてくる。

ひまわり


戦争映画なのに、戦車も銃も、それに爆撃、銃撃シーンは一切ない。戦争反対を訴えたとしても意外な描き方である。
冒頭、平和を象徴する、「ひまわり」を登場させたことは、これから起こるであろうストーリーをより際立だたせる効果がある。

ロシアがウクライナを侵略して、戦争の残酷、悲惨、非常理が毎日報道されている。戦争は街を破壊し、命を奪い、人々を悲しみのどん底引き落とし、不幸にしている。
50年前封切られた、「ひまわり」は、今の世相にピッタリの映画である。戦争は、人の命を奪い、街を破壊するばかりでなく、心までズタズタにしている。

大上段に、戦争反対の言葉や残酷シーンでは描き切れない、目に見えない人間の心を余すことなく描き切っている。名作と呼ばれる所以だろう。

「ひまわり」を、観終わって、愛の不可思議、戦争の愚かさ、人間のすばらしさを再認識した。生きて入れさえすればどうにかなる。人間は生きていかなければならない。